皆さんこんにちは。さくたろうです。
早速本題に入りたくなるほど株式市場の雲行きが怪しくなってきました。
やはりさくたろうの友達も、最近は空売りのポジションを持っていると話をしておりました。
至極当然なことですが、経済的自立を目指す上で、政府に頼るということは目的から反した期待になってしまいます。
これだけ経済・投資家を見向きもしてくれない時代が始まり、あえて政府に期待しない練習という意味合いも含めて頑張って行くしかないのかな、と気持ちを切り替えようと自分に言い聞かせています。
しかし現代の国力は経済力です、日本にとって取り返しのつかないことにならないと良いのですが・・・
空売り(カラ売り)という手段
証券口座に信用口座を開設すれば、空売りができるようになります。
さくたろうはもう10年以上前に信用口座を開設しています。空売りは信用口座があれば誰でもできます。
空売りをした株が下がれば結果的に利益となる行為は、えてして忌み嫌われがちですが、売買の厚みが増したり下がったところでの買いの需要になたりと、決して一方通行での評価では語れないところがあります。
むしろ投資家が空売りをするには、とてつもない勇気がいることです。会社は株価を上げるためにあれやこれやと株価上昇になる行動を取る中、上がったら損失を被るポジションを投資家として築いていくことは、基本的には不利であることが多い感覚をさくたろうは持っています。
しかしながら下げ相場が始まった時には
・今買ってある株を売るか
・空売りをするか
この2択が基本になってきます。(インバース投資信託等はここでは割愛します)
特にもし今持っている株を何らかの理由や思い入れ等で売れない・売りたくない場合、空売りという手段は注目に値すると思います。
そして、これが大きいのですが、空売りを本当に実行しようとしたとき、絶対的につきまとう「買う」という行為についても強く考え直すきっかけになるということです。
あくまで個人的な考えですが、空売りを経験することは「市場にも自分にも厚みになった」というのがさくたろうの感想です。
ただし信用取引は投機行為であることは事実です。現物での売買もさくたろうに言わせれば投機そのものですが、それよりも危険度が高いことは間違いないでしょう。そういった手段が空売りです。
「オニールの空売り練習帖」
人生で恋人や友人から助けてもらうことが多いように、どの書籍と出会い助けてもらうことができたかも同じくらい大切だと思います。
ちまたでは「今」成功している方々がこれでもかと書籍を出しており、書籍の数に困ることはない世の中です。
「今」成功を収めた方も本当に素晴らしいし、並大抵の努力ではない努力をした結果である方には尊敬の念を抱きます。
一方で、初学者であった(いや、今でも初心者)さくたろうにとって、本当に良い出会いだったと思えるのは、昔から存在する投資家の本だと感じます。そして、空売りをするときに今でも何度も読み返す本が「オニールの空売り練習帖」です。
オニールのこの書籍は普遍的な価値がある良書だと思います。もちろん「今」でも役に立つのがさくたろうの思う普遍的な良書の条件です。
内容について少し触れると、
・空売りのタイミングが分からないと、いつもの買いのタイミングも間違う可能性すらあること
・空売りに適した時期があること
・株が下がるパターン(ダイアグラム)が存在すること
・空売りしてはいけない株があること
・市場全体も見ること
などが書かれています。
全てをマスターすることなどさくたろうにはできませんが、それでも偉人の知恵に触れることができる媒体である「本」というのはどれだけ価値のあるものなんだろう、と思います。
もし、この本が世の中になかったら、おそらく間違った空売りをしてしまい、今頃退場していた可能性もあるのではないか?とすら思います。
自分の大切な人を守るのは、最後まで自分!
もし凶悪な犯罪者が、自分の大切な人に襲い掛かろうとしていたら、その時に取れる手段は自らが戦うことに限られる状況も存在します。
警察もアルソックも間に合わない!そんな状況だって、可能性としては起こり得る。
その時は文字通り死ぬ気で男は守らないといけないと考えています。少なくともさくたろうは、そのように親から教わり生きてきました。
皆がこのような死生観である必要性は決してありませんしさくたろうが間違っている可能性も充分に理解しています。決めつけではありません。
しかし究極は、頼れるのは岸田でもなければ何ちゃら経済再生大臣でもありません。
そんな人たちはどうせ危機感もないし、差し迫った危機時にはクソほどの役にも立ちません。顔を見ればわかるもんです。
志のある顔をしているのは高市さんくらいではないかなと思います。
いざというときの戦う手段。これは究極、自分自身。
空売りを駆使して、難局を乗り越える覚悟を磨きたいと思います。