思い出 名村造船所(7014)

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さくたろうの考え

こんにちは。さくたろうです。
皆様にはよくも悪くも、「忘れられない銘柄」はありますでしょうか。
あー昔買ったけど、今こんなふうになっているのかー、と。

これ、株の銘柄だけではないですよね笑
昔の恋人、昔乗っていた車種、好きだった業界・・・

そのときに自分がそれを選んでいた明確な理由があるものも多いです。
なんであの時あんなに夢中になっていたのだろう?と時間と距離だけが冷静にさせてくれたものもあります。
もちろん今でも大切にしているもののほうが多いです。
・・・何の話???人生の話!笑

何に対してもそうですが、そのときそれを選んだ・信じた自分がいるのであれば、昔選んだもの・今手元から離れたもの・離したものが、今どうなっていたとしても、後になってから昔好きだったものの文句を言うことはやめたいな、と思って生きています笑
一瞬であっても、それに魅力を感じて、それを信じた自分が、そこにはいたはず。

ものすごい割安、に惚れた!

あれは確か10年以上前だったと思う。日経ヴェリタスに「キャッシュが1000億あり借金がほぼないのに、時価総額が500億未満、しかも利益をあげている」として、割安と思える銘柄の候補の一つに名村造船所の名前が記載されていた。
確か一株300円~400円の値段だったかと思う。
四季報や株購入後に郵送で届く決算説明等で確認しても、不満な部分はこれといって見当たらなかった。造船は手持ち工事量(造船予約の量)も大切のようで、手持ち工事量も増えた、いや少し減ったの繰り返しで、これも順調そうだ。
強いて言えば、中国・韓国の安値競争が苛烈だと毎回決算説明に書かれていたが。
しかしPBRも0.3倍程度と割安で、なにより1000億キャッシュがあれば、今の造船でも別の業務を始めても、何だってできるし何とでもなるだろうと思い、さくたろうは購入を進めていった。こんなに割安でキャッシュリッチな企業はそうそうないぞ!

下がり続けて、戻ってきた所で売った

購入を進めていったが、下がる下がる笑。確か250円は割って、含み損も、その頃の投下資金からしたら、結構な金額になっていった。
でも名村造船所は赤字にもなっていない。むしろ指標は割安にどんどんなっていく。
このままどこまで下げていくんだろう?でももう少しなら買い続けてもいいんじゃないか?
そう思っていると、円安かアベノミクスか何かの拍子に急激に上がり始めた。そして自分の買値付近で全て売ってしまった。
多分怖い思いをしたからだと思う。(今の僕であれば、多分半分か、量はわからないけれども多少は残していると思う)
当初は、割安が解消されるまでは勝負したいと思っていたのに、下がった恐怖とおさらばしたくて売った。

*買いも売りも、結果としてかなり間違っている

その後、4倍付近に上がる。そしてまた戻る

その後もあれよあれよと上がり続け、1000円、1500円とものすごい勢いで上がっていった!
これをもし獲っていたらと思うと悔しかった。割安だから上がるだろうという、買った理由・上がる理由は完全に間違っていた。
しかし割安が解消したら売るという、最初に決めた出口は結果的におそらく間違っていなかった。

1500円を超える株価に「あー、またやっちまった」と思っていた。
そして何年もそこから経過すると、今度はまた株価が下がってきた。しかも最終的には以前購入した時の金額以下に。
「え!?なんで!?」と思い、ニュースを見てみると、今度は明確に業績に支障をきたしていた。
以前あったキャッシュの1000億はみるみる減り続け、有利子負債も増えている。むろん自己資本比率も下落傾向。
佐世保造船を買収等、規模は拡大している。しかし赤字は連続し、配当もどんどん少なくなってきた。

そこに割安と思える要素は少しも存在しなくなっていた・・・。
これはこれで悲しかった。こうなってしまっては、さくたろうはもう買えないし、10年前の割安であった値段は、もしかしたらこの現状を想定していたものだったのかもしれないと思った。
そしてあんなにたんまりとあったキャッシュも、時間軸を長くとれば本当にほぼなくなってしまうこともあるのだと体験させられた・・・

・自分が買った理由とは別の理由で上がることがある
・含み損からの同値撤退(ヤレヤレの売り)は大きな相場を逃す可能性もある
・割安な株が、長い期間の後、株の値段は変わっていなくても割安ではなくなるくらい内容が悪化することがある

こんなことを学んだと思った。どれもすべて、買った時には全く考えもしなかった事だった。

思い出は思い出のままのほうがいい?

人生いろいろ、会社もいろいろ。そして思い出もいろいろ。
たとえば昔興味があった人が、今どうなっているのか。これを知ることに意味はあるのでしょうか。

さくたろうなりの結論としては、「少なくとも学びはあるのではないか」です。
上記のさくたろうのように、惚れた理由が綺麗サッパリ今はなくなっているかもしれませんよ!?笑
しかし、えてして自分が全く気付かなかったその人の特徴などで、その時からは全く想像のできない人のようになっているかもしれません。

冒頭の話に戻って締めたいと思います。
今どんな事になっていたとしても、その昔、自分が魅力を感じたことは真実。
その時好きになった人や物のことは、今どんなふうになっていたとしても、すべてを受け入れて文句は言いたくないなと思います。

そのとき信じた自分を裏切ってしまうような感情は、どこかに捨てて、歩いて行きたいと思います。



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