ディフェンシブ投資の無意味

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さくたろうの考え

こんにちは。さくたろうです。
歴史は繰り返す。1度目は悲劇として。2度目は喜劇として。

もうリーマンショックから14年も経過するのか・・・
あの時のことを思い出すと、サブプライムローンの話が既に漏れ聞こえていて、少し株をやっている人には誰でもその火種がくすぶっている事を知っているような状態でした。
しかし、そこから今回のような謎?の反発があったりして、弱いながらもウロウロと耐えていた時期がありました。
さくたろうからしてみると、やっぱり警戒は必要かなと思います。
警戒をするとカッコよく言っても、警戒するということは攻撃(買い)の手を弱めることに他なりませんから、何も起きなければ単純にたくさん買っている投資家よりもパフォーマンスは落ちます。
それでも警戒は必要で、買う銘柄の範囲をできるだけ絞ったり、本当に必要と思わないような銘柄をトリミングしたり、あるいは株数を減らしたり。
また場合によっては空売りも必要ですし、その場合は上がった際に、損失を実際に被ることになります。
買いを減らすよりもより損失は目に見える形となります。

この「警戒」、しなくて済むならしないでいたいですよね。だって株が上がるなら、何も考えていない方が楽だしパフォーマンスも上がるわけですので。
ただ、それでも、警戒しないといけないのかな、とさくたろうは思っています。
「弱気でいたら五番街に店は持てない」というフレーズがある中で、警戒か・・・と思います。
しかし破滅的な下げが周期的に繰り返されている歴史がある中で、警戒をしていない投資家がずっと生存することは難しい。
自分のスタイルでいいので、警戒や余力を残すことは大切なことだ、と思っています。


運命を先送りにするディフェンシブ

さて、警戒をすることを書きましたが、よく「じゃあディフェンシブ株も買っておけば」と聞くことがあります。
これは警戒していることになるのでしょうか。

結論、なっていません。
弱気相場が始まってしまったら、一見それにあらがうように動いているディフェンシブ銘柄(生活必需品・製薬会社など)も、基本的には遅かれ早かれ下落してしまいます。確かに、今まで割高にまで買われた成長株ほどの下落からは逃れることができると思います。
しかし、損失の大小の問題だけで、損をすることに変わりはありません。
配当?そんなものに意味はありません。応急的に手当てした銘柄からもらう配当は、本当に意味がないんです。
じっくりと腰を据えて、ずっと持っていると決めた銘柄からの配当と、刹那的に買った銘柄からもらう配当は違うというのがさくたろうの考えです。
配当が意味があるのは、そのもらった配当で、その銘柄をもう一度買いたいとなった時に買えることに意味があると思っています。
1日に何%も損をする投資の世界で、わずかな配当が株を売らない理由にはならない。

長期投資で売らないで良いと思える銘柄は既に、その人のポートフォリオの中にあることが多いです。
それは決してその時に応急的に買うディフェンシブ銘柄ではないと思うんです。

お金が落ちている、と言える時が来るかも

大恐慌の勝者の中には、荒野となり果てた後に、大きなリスクをそこから取って成功したというスタイルの投資家がいます。
おそらくその人たちの中には、恐慌後でもおっかなびっくりで買いを始めた人もいれば、こんなチャンス2度とない、お金が落ちているようなものだと思って投資をしていった人もいるはずです。

麻雀でもそうですが、その人の環境(手配・持ち点)から見ると、とても危険に思える状態でも、また別の人の環境から見てみると、その状況は全く危険ではないことがわかる、といったことがあります。
そういう人がさくたろうの期待値の低いリーチに果敢に突っ込んできて、見事勝利をもぎ取る、ということはとても良くあることです。

切羽詰まった状況を自分で作ってしまって、危険を感じる感度を下げてしまったり、またその後の機会を逃してしまうといったことは、できるならば避けたいところです。

お金が落ちている、と言える時がもし来るとしたら、それはいつの時代でも、暴落が終わった後だからです。

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